日本科学者会議山口支部ニュース 第171号(通算)(2014年5月1日)
つ う し ん
WEB版 2017 復刻

  

上関原発を建てさせない山口県民大集会7千人が集合

 上関原発を建てさせない山口県民大集会は3月8日に山口市維新公園ちょるる広場において、 約7千人という県内の原発反対集会としては過去最大の規模で開催され、上関原発はいらない という国民の大きな意思表示を示すものとなりました。JSA山口支部事務局では賛同署名と 参加の取組を行い、約20名の会員の参加がありました。

林謙次郎さん(元・山口支部代表幹事)との思い出

田辺澄生(元・山口支部事務局長)

T. 初めて会った日
 記憶にないが、66年12月11日の支部創立大会後の記念公開シンポの時ではなかったか? 或いはその日の臨時支部幹事会であったろうか?いずれにしても日科山口支部の活動の中で知り合って、 その後30年間のおつき合いであったことには間違いない。
 創立当時、代表幹事と事務局長が決まらないので、67年3月21日(火)、第1回支部幹事会を 教育学部小山陽一(初代事務局長 -故人- )研究室で開き、紐余曲折の後に代表幹事林謙次郎、 事務局長神谷精吾の両名で昭和43年度(68年度)第3回支部大会まで運営することに決定した経緯がある。
 山口大学を定年後に郷里の佐渡ヶ島に帰られて、林さんの奥さんからお便りをいただいた。 文中に「山大のアパートに初めてお上がり頂いたお客様が田辺さんでした」と。 何を話に行ったのかは忘却の彼方においてきたが、若かりし頃は周囲の人から見れば どうだったのだろうか。

U. 思い出から創造へ
1. 科学の総合化の試みと科学者の社会的責任
(1)68年1月23日、南陽町公害問題研究委員会第1回自然科学部会で、この南陽町公害 「正体不明のガス」問題を林、神谷さんが課題として取り上げると言及。新しい科学の 進むべき困難な道に先進的な息吹を吹き込み、道標を建てるための提案がなされたものと受けとめている。
(2)その後の研究活動は、山口支部20周年特集号(地域研究山口第16号一91年4月発行)に 掲載されているように、山口県各地に発生する公害・環境問題の科学的解明に努力された。
 すなわち、70年5月から下関市彦島西山地区の現地調査(三井金属彦島製錬所付近の汚染原因の解明)。 71年8月から三田尻湾汚染原因の究明。さらには、75年10月から「美祢市カドミウム汚染米」の調査研究と 「山口県公害対策審議会カドミウム部会の中問報告」に対する公開討論会の開催を求めて「審議会長」 との2度に亘る討論と、その席上において痛烈な批判を加えられたことは林さんの学問への心と 住民の立場に立った民主的な科学者の一端を伺い知ることが出来る。
(3)これらの多年にわたる科学的究明と成果の普及によって、住民が科学的根拠に立って 自らの生命と生活を守る運動を積極的に展開することに貢献された。この優れた成果は、 第2回瀬戸内海環境保全賞(79年8月26日)の受賞となった (社団法人瀬戸内海環境保全研究所1975年9月14日設立、理事長広島大学名誉教授佐久間澄)。
 受賞は日本科学者会議山口支部公害研究委員会であり、この授賞を晩年最も喜ばれ、 亡くなられる1年前の1996年にお便りを頂いた。なおこれらの研究成果は公害研究、 第1号及び第5号、「美祢市カドミウム問題、別刷」(略称)、地域研究山口、第1号及び第2号などに詳しい。

2. 山口支部における科学者運動
 何といっても第2回支部大会以来第21回大会に亘って(3,4回を除く)代表幹事を歴任され、 支部の発展に努力されたことである。
 当時の若手研究者(今は40代半ばから60代前半)が入会して一番気楽に話が出来たのは、 年配科学者を「先生」と呼ばずに「さん」づけで呼べることだったという。 この「さん、づけで呼ぶ」ことを提唱されたのが、林(理学部)、西村(経済学部)両氏で あったことを咋日のように思い出す。

3.晩年の活動
 郷里の佐渡ヶ島にお帰りになって毎年1回、山口のわが家へ奥さん同伴で訪ねて来られた。 話はいつも、社会情勢と佐渡ヶ島における環境・公害問題および科学者の社会的責任の問題であった。
 奥さんからの便りによれば、「…佐渡に帰り四年が過ぎました。自然に恵まれているはずのふるさとは、 これまで公害問題に係わって来た者の眼には…人工化された姿に落胆しましたが、 これから間に合うものにできるだけの力を注ごうとの意欲に燃えておりました。…二年目には 「サド・アカデメイア」と名付けた勉強会をつくることができました。特に若い人達に、ものの見方、 考え方の大切さを知ってもらいたいと…、6月に開かれた22回目のサド・アカデメイアの例会の後、 …この会が継続されることに決まりました…」。
   春嵐 声なくむかい 終の旅  (弟、秀三郎さんの句)

JSA山口支部創設期がどうであったかを知るため、当時の思い出を寄稿してもらいました (編集子)

JSA山口支部決算の概要    事務局

 1月末に会計担当者の事務引き継ぎが行われましたので、概要を報告します。

  • 引き継いだ金額:815,097円
  • 引き継ぎ後3月末までの収入:275,683円(ほとんどが2014年度会費の前納分)
  • 引き継ぎ後3月末までの支出:73,470円(内、月額会費の本部送金が66,400円
  • 2014年度への繰越金:1,017,310円
    繰越金の4割程度は2014年度の会費として本部に送金されますが、残りは支部活動費として年度予算に従って執行可能となります。

    山口大学 「吉田キャンパス科学のつどい」の開催報告

     第5回 2月14日 「前近代中国の天下・国家のかたち − 昔、中国に国境はなかった −」
          滝野正二郎 (山口大学人文学部)
     第6回 3月18日 「火山噴火と災害 − 富士山、桜島、新燃岳そして山口の活火山 −」
          永尾隆志 (元山口大学理学部)
      紙面の関係でニュースでの報告はありません。編集後記に記載のウェブページを参照して下さい。

    支部会員が関わったその他のイベント等

     4月5日「100年の谺」上映会
     幸徳秋水ら24名が明治天皇暗殺計画を口実に翌1911年1月に処刑されて100年、決して 過去の出来事として済ませることができないとして製作されたドキュメンタリー映画が 「100年の谺」です。映画プロデューサと旧知の田沢会員を中心に山口上映実行委員会が結成され、 百数十名の参加で上映会は成功しました。


  • 編集後記
     2013年は3ヶ月毎に4回のニュースをお届けしましたが、2014年は諸般の都合で4ヶ月毎の 年3回のニュース発行といたします。ご了承下さい。

    JSA山口支部事務局
       〒753-8511 山口市吉田1677-1 山口大学教職員組合気付
      Tel 083-933-5034  Fax 083-921-0287  e-mail fuy-union@ma4.seikyou.ne.jp

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