日本科学者会議山口支部ニュース 第177号(通算)(2016年8月1日)
つ う し ん
WEB版 2016-8-1

日本科学者会議第47回定期大会の概要報告

吉村全国幹事

 日本科学者会議(JSA)第47回定期大会は5月28日(土)・29日(日)に、中央大学理工学部を会場にして開催された。山口支部からは田中代議員と私が出席した。この大会では2016年度(52期)活動方針と予算が決定された。また、52期の全国幹事60人、会計監査2人、全国参与28人を決定した。全国幹事の推薦が間に合わなかった2支部については、大会の休会中に52期第1回幹事会が開催され、常任幹事会に委権することが報告された。同時に幹事会では、代表幹事3人、常任幹事27人を互選し、「日本の科学者」編集委員の承認があった。さらに、幹事会途中の52期第1回常任幹事会で事務局長(井原聡氏)、事務局次長(青山政利氏ら5人)、「日本の科学者」編集委員長(伊藤宏之氏)が互選された。
 大会の1日目は、「財政問題調査検討委員会報告書」と「財政問題特別議案T(財政問題の処理について)及び財政問題特別議案U(今後の財政問題と組織改革)」が提案され、13:30から21:15まで「財政問題」が集中的に討議された。様々な意見が飛び交い紛糾したが、特別議案Uについては全会一致で承認され、特別議案Tについては時間切れのため、翌日の討議に持ち越された。
 大会の2日目は、まず、審議を持ち越した特別議案Tについて審議が行われた。その結果、提案された処理案を賛成多数で承認した。また、2001年〜2014年にわたる決算報告、会計監査報告、研究基金準備委員会の会計報告や会計監査報告にかかる処理は、現実問題としてやむを得ない事態として、この事態を賛成多数で承認した。
 その後、通常の議題に戻り、51期の活動報告と決算報告が承認された。続いて、52期の活動報告が全会一致で、予算が賛成多数で採択された。
 深刻な財政問題がある現状ではあるが、民主的な科学者運動を続けているJSAとしては、その活動力を低下させることはできない。従来から掲げている(1)人類の生存と平和的繁栄のために研究を行い社会に働きかける、(2)高等教育と科学・技術の真の発展のために発言し行動する、(3)本会の全力を注いで組織を強化・活性化し科学者運動を発展させる、(4)「日本の科学者」を充実・普及する、という観点から各支部等で実践した活動報告と今後の活動方針の議論と確認が行われた。これらの討論を踏まえ、3つの大会決議文と、2件の特別決議を採択して大会は終了した。
 <WEB版では、一部割愛>

第52期 第1回JSA中国地区会の概要報告

吉村全国幹事

 標記の地区会が7月23日(土)に岡山市で開催された。増山代表幹事と私が出席した。最初に、岡山支部の稲垣常任幹事から第2回常任幹事会の報告があった。特に、JSAの活性化に向けた組織改革の委員会報告をはじめ、組織改革、研究基金/財政/会計処理、専従職員問題を議論する3つのWGが設置されたことが報告された。
 また、8月1日(月)〜2日(火)に原水禁科学者集会が横須賀で開催されること、9月2日(金)〜4日(月)に京都市で総合学術研究集会・若手夏の学校が開催されること、10月8日(土)に広島市(広島市西区市民文化センター)で中国地区シンポが開催されることが紹介され、各支部からの積極的な参加の呼びかけがあった。
 続いて、各支部の活動状況と課題について報告があった。従来からの全国的な傾向でもあるが、若手会員の本会への参加が滞っており、JSAの全国会員数も4,000人を割るなど、深刻な現状がある。改めて、会則の前文にもあるとおり、会員一人一人の創意と自発性が発揮できるように、研究者としての専門性を活かすべく、様々な仕掛けを用意し、民主的な運営に努める中で、会員の拡大に繋げていく必要のあることが確認された。
 全国役員のローテーションについては、来年度の2017年度〜2018年度にかけて、山口支部は大当たり年で、地区担当常幹(2017年度)、「日本の科学者」編集委員(2017年度〜2018年度)、中国シンポ担当県(2017年度〜2018年度)が重なって到来する。山口支部として全体のバランスを配慮した役割分担・配属を考える必要のあることを痛感した。
 会員の皆さんのご理解とご協力をよろしくお願いします。

 第29回中国地区シンポジウムの概要
  テーマ 危機に立つ大学と改革の展望 ? これ以上大学を国民から切り離していいのか?
  日時 10月8日(土) 13:00-17:00
  場所 広島市西区市民文化センター大会議室(JR山陽本線横川駅から徒歩3分)
  報告(タイトルは仮題)
 0)開会挨拶 広島支部事務局長 市川浩
 1)基調報告 平手友彦(広島大教授) 
    新自由主義と「知識基盤経済」のもとで変貌する高等教育?エラスムス計画からポローニャ・プロセスへ
 2)中富公一(岡山大教授) 憲法破壊と大学の危機 - 安倍政権の大学政策批判 ?
 3)塚田広人(山口大教授) 日本の高等教育無償化の根拠の検討
 4)浜田盛久(海洋研究開発機構研究員) 学問・研究は平和のために ? 急展開する軍学協同の現状
 5)総合討論とまとめ

科学のつどい in 山口

 山口支部は山口大学吉田キャンパスで「科学のつどい」を市民・学生に開放して随時開催しています。6月20日の第12回つどいでは東京在住の寺中氏が「積極的平和主義を考える」と題して講演。そして7月7日第13回つどいでは標題で、教育学部で憲法学を担当している松原会員が講演しました。
 昨年6月の公職選挙法改正により、選挙権開始年齢が満20歳から18歳に引き下げられ、「主権者教育」が俄に注目されるようになって、高校生の政治的活動についても一部解禁の方向性が示されている。しかし、その一方で「政治的中立」という言説が教育の場に相当な圧力を与えており、その結果、政治的争点には一切触れずに選挙における手続きを教えることに終始するようでは本当の意味での「主権者」を教育することにはならない。
 18歳投票権は公職選挙にとどまらず、2年後には憲法改正国民投票にも適用されることになる。国民一人ひとりが重大な選択を迫られる可能性がある中、主権者として何が求められるのか、主権者教育のあり方を考えなければならない。このように松原氏は説きました。
 折しも、SEALDsの映画鑑賞会を学内で開催する計画に対して、開催3日前に大学当局は大学会館を使用させないと通告。「主催団体の一つが参院選で特定候補を応援しているので、会場を貸すことは大学が支援することになり、教育基本法14条2項の学校が特定の政治活動することを禁じた規定に抵触すると判断した」というもの。この問題が起きた1週間後の「つどい」であり、参会者は11名でしたが、活発な質疑が交わされました。(つどい世話人)

[補遺] 7月25日付で大学が説明した大学会館使用不許可の理由
 参議院議員通常選挙の公示日である平成28年6月22日以降、映画鑑賞会のため学内で配布された配布物において、特定の候補を指示するような内容が記載されていた。これは教育基本法第14条2項に抵触する恐れがあり、この配布物を作成した団体が、上映会の主催者の一つとして入っていたため、不許可にした。

公開学習会「戦争・平和の問題を中心に参院選挙の争点を学ぼう」(概要)

 7月1日昼休み、山口大学経済学部において、塚田会員のゼミ生が標記学習会を公開で行い、学生45名、教職員・市民15名、その他マスコミ関係者約10名が集いました。
 第1部では基礎ゼミの1年生20名が国会議事録から重要審議日・公聴会について要約して説明発表し、第2部では2時まで、自由な意見交換が活発に行われました。
 参加学生の記入したアンケート:
 ・1年生の発表はすごくわかりやすくまとめられていて、日本の戦争・武力の法案について、細かい部分まで学ぶことができました。
 ・自国防衛は必要であり、現実問題として領土侵略は行われている。戦後の憲法が現実に即していないのもまた事実である。
 ・安倍総理の提案する法案について知るということは、これからの自分自身の将来についても関係のあることであり、詳しく知るためにはすごくいい機会だと思いました。日本は今の平和を維持するために、変えなければいけない部分と変えてはいけない部分があるのではないかと思いました。
 ・これを機に安保法案についてしっかりと勉強していこうと思った。
 ・内容がかなり重いこともあり、大事なことがたくさん詰まっていた。
 そのせいもあり、情報量が多すぎて今一頭に入ってこなかったというのも本音である。多分私みたいによく理解しきれていない人もいたように思われる。配布プリントが文字だらけなので、図を用いてみるともっと良かったかも。(→巻末につけた図も説明すると良かったかも。)
 また私は違憲以前に、後方支援を行うこと自体反対。過去の戦争で日本は戦争の恐ろしさと残酷さを身をもって実感したと思う。それなのに過去を顧みず今回このような法律が成立してしまったのは非常に残念だ。

会員の異動

 長崎支部より北村さんが4月付けで転籍。吉村会員は萩の大学を辞した後、山陽小野田の大学勤務。河野会員は中国大陸で日本語教師。 昨年に定年を迎えていた友定啓子さんは3月で退会。永尾氏は昨年晩秋、病気療養のため長崎に転居後、4月末に逝去。

新会員の自己紹介

・氏名:北村美江(Kitamura Yoshie)
・主な所属学会: 植物細胞分子生物学会・薬学会・薬史学会など
・専門領域:植物生理学・生薬学(実験系)
・市民や学生に講演できるテーマ:山口の状況がよくわかりません。
  敢えていえば『植物のストレス応答」・「植物の環境への適応」・「毒になる植物・薬になる植物」
  とかでしょうか。
・抱負:山口でできることを模索しています。大内時代に中国や韓国等を経由して導入された植物、
   特に薬用植物の歴史を調べることを考えています。

寄贈本

 長野県に在住の岩本二郎氏より、
  「セメント公害トマレ」200ページ
  「写真集セメント公害トマレ 1974-1978」64ページ
の2冊(ともにA4カラー版)が6月下旬に支部に寄贈されました。岩本氏は1960年代から70年代にかけて教会の牧師として美祢市に在住し、当時、美祢市で発生したカドミニウム汚染問題に献身的に取り組み、「セメント公害トマレ」のニュースを発行していました。そのニュースと写真を整理してこのほど自費出版されたものです。当時のJSA山口支部との関わりについては、この「つうしん」177号の田辺澄生氏の特別寄稿を参照してください。昨年に岩本さんから「地域研究山口 第2号」引用許可を求める手紙が支部に届き、幹事会でこれを承認しましたが、これが写植で載っています。

支部活動日誌

 2016年3月以降の支部および支部会員が関わった活動は次の通りです。
・3月1日 支部ニュース 第176号(通算)発行
・3月26日 上関原発を建てさせない山口県民大集会 
・3月 支部HPリニューアル  http://www.e-hagi.jp/~mashi803/jsa/
・5月3日 憲法を守る山口集会 宮尾弁護士の講演、松原会員の小報告
・5月14日 安保法制の廃止をめざす山口大学関係者の会がアピールを発表。「関係者の会」の呼びかけ人約30名の半数はJSA山口支部の会員
・5月21日 原発をつくらせない山口県民の会第20回総会・学習会 増山会員が代表委員として挨拶
・5月28,29日 JSA定期大会(東京) 吉村・田中が参加
・6月20日 キャンパス科学の集い(12) 「積極的平和主義を考える」寺中誠氏(アムネスティ日本元事務局長) 35名参加
・7月1日 昼休み公開学習会「戦争・平和の問題を中心に参院選挙の争点を学ぼう」 塚田会員が主宰で基礎ゼミの学生50名その他30名参加
・7月3日 SEALDsの映画「私の自由について」鑑賞会 市民を中心に80名参加
・7月7日 キャンパス科学の集い(13) 「18歳投票権と主権者教育」 松原会員 学生を含む11名参加
・7月23日 JSA中国地区会議(岡山) 吉村・増山が参加

訃報

 火山学者の永尾隆志氏が4月末に病気療養中の長崎で亡くなられたという連絡があったのは5月の連休明けである。遺族の希望で静かにしておいてほしいとのことであった。彼が北海道の大学から山口大学に移ってきたのは1980年。文理学部改組で創設された理学部で、新たに編成された地質学鉱物科学科に助手として採用された。人なつっこく情熱的な彼は学生に人気の教員として学界で活躍する一方、ほどなく科学者会議や組合の活動。林謙次郎先生・山田洸先生が代表幹事であった科学者会議山口支部で事務局長を勤めたのが1986年度、組合の書記長だったのは1993年度であり、94年に山口で開催された全大教第6回教研集会の実行委員会事務局長として活躍。集会の懇親会では山頭火の格好をして余興を盛り上げたことを思い出す。
 その世捨て人の余興が暗示していたかのように、95年から10年間、彼は理学部から機器分析センターの専任教員に出向。その前後から「阿武火山群」の研究に本格的に取りかかり、伊良尾山が30万年くらい前に大噴火した痕跡が農道建設現場から発見されるとその保存に尽力した。当時は予期せぬ火山噴火が相次いだこともあり、我が国の「活火山」の定義が2003年に見直され、萩市の笠山の最後の噴火が9千前くらい前であったことを踏まえ、阿武火山群は活火山のリストに加わった。
 彼は最初、一人で地質遺跡の保存と教育・観光への活用に地元住民と連携した活動を展開してきた。彼といっしょに萩市役所で市長や議会幹部の前でジオパーク認定をめざす必要性をプレゼンしたことを思い出す。美祢ジオパーク構想に先立つ活動であったが、萩市が歴史遺産を優先させる中でおくれを取り、存命中に萩ジオパークが実現していないのは心残りであったろう。
 彼は床に伏す直前まで、萩市のジオパーク準備委員会に助言をし、小学校への出前講義や各地の市民講演会をこなしていた。ジオパーク構想関係者だけでなく、学校の教諭、自然保護・愛好家から彼を惜しむ声を聞く。まだまだこれから、思う存分に活動できる退職後4年という早い時期に永尾氏を喪ってしまった。彼と最後に伊良尾山の山麓に行ったのは2年前である。余り体調がすぐれないとは聞いていた。首に縄を付けてでも病院に診察に連れて行かなかったことが悔やまれる。
 享年68、安らかにお眠りください。(増山博行)


特別寄稿  林謙次郎さん(元・山口支部代表幹事)との思い出

元・山口支部事務局長 田辺澄生
 T. 初めて会った日
 U. 思い出から創造へ
   1. 科学の総合化の試みと科学者の社会的責任
   2. 山口支部における科学者運動
   3. 晩年の活動
                  以上、前半部は「つうしん」第171号(2014/5/1)に掲載済み

V.1979年 瀬戸内環境賞の経緯と受賞
 環境保全賞  申請書
  題 目 山口県における環境破壊への一挑戦 -主に土壌及び低質の重金属汚染について-
  申請者 日本科学者会議山口支部公害研究委員会
  代表者 林謙次郎(1925年5月31日生); 日本科学者会議山口支部代表幹事・
      山口支部公害研究委員会責任者・山口大学教授・理学部(分析化学)
  申請理由並びに参考資料(4種、各3部)を添えて「環境保全賞」の申請をいたします。
よろしくご願い審査のほどお願い申します。  1979年1月13日
     山口市大字吉田1677-1  山口大学経済学部、西村研究室内
                 日本科学者会議山口支部代表幹事 林謙次郎
 環境保全賞 申請理由
 瀬戸内海沿岸に沿って重化学工業の発達している山口県にあっては、1959年頃からの徳山湾における赤潮発生に端を発して、県内各地に「公害」が目立つようになってきた。
 1966年に設立された日本科学者会議山口支部は、その発足以来、公害問題に強い関心を寄せてきた。日科・山口支部は山口、宇部の両市を中心にして、各地で「公害問題シンポジウム」を開催し、大気の汚染、排煙中の脱硫技術、粉塵除去技術とその現状、振動、騒音、自動車問題、交通公害、交通と教育、水質汚濁等々の諸問題を、多くの市民と共に学んだ。
 支部会員の公害問題に関する知識の向上と県内各地における公害問題の急激な顕現化に伴い、支部は、県内公害問題の実態把握と実情に即したその抑止方法の確立に努力すべきであるとして、1967年支部内に「公害研究委員会」を設けた。
 本委員会が設立以来取組んできたもののうち、2〜3の例についてその概要を述べてみよう。
(1) 新南陽市における「刺激性ガス」の究明とその対策
 新南陽市にある東洋曹達工業付近において、一地域住民の健康ならびに其処で飼育されていた家畜にかなりの害を与えていた所謂「刺激性ガス」の化学成分の決定とその発生原因の究明に努力した。試料ガス採取の困難さと測定機器の不備のために満足すべき結果は得られなかった。しかし、大阪の医療団と提携して当該地域に住民検診並びに要注意者の大阪での精密検査を実施したことは評価できよう。
(2) 三田尻湾の水質並びに底質の重金属汚染の調査について
 三田尻湾内の水質調査並びに湾内底質中の重金属の化学分析を行い、汚染の実態を明らかにし、それらの結果は漁協の人々にも詳細に伝えた。それらの努力は県行政に反映させることが出来、湾内水質の改善等に貢献し得たと信じている。
(3) 下関市・彦島西山における土壌および西山港内底質の重金属汚染について
 当該地域内に「西山病」患者がでたり、農作物や住民の健康の被害の増加、あるいは西山港内に奇形魚の発生が目立ってきたこと等々のために、地域の人々からその原因の究明を依頼された。我々は、日科・山口支部会員である医師による住民検診を実施し、有症者には適切な指示・指導を行った。また、一方では、土壌あるいは港内底質の銅、鉛、亜鉛、カドミウム等による顕著な汚染の実態を明らかにした。
 それらの結果の一部が新聞紙上ならびに報道されると、即刻、山口県及び廣島通産局が追跡調査を行い、同様の結果を得た。その約1年後には、三井金属KKは数十億円を投じて工場設傭を一新したと聞く。以後、同地区における見かけの大気汚染は激減した。
(4) 美祢地域におけるカドミウム準汚染米について
 美祢教会岩本二郎牧師によって、美祢地域産米中に、「カドミウム準汚染米」があることが見出された。その指摘に基づいて調査した山口県が「準汚染米」を生産する可能性があるとした地域よりかなり離れたところからも「準汚染米」が生産されていることを確認して、県行政の甘さを指摘し、その改善を促した。
 さらに、準汚染米生産の原因となっている水田土壌のカドミウム富化についても、その原因に究明に努力した。
 「準汚染米」問題が起こると問もなく、山口県公害対策審議会は、その中にカドミウム部会を設けて、我々と同様に土壌のカドミウム汚染の原因究明の乗り出し、水田のカドミウム汚染は石灰岩風化産物たるテラ・ロッサの流入による物であると判断した。
 添付資料にある通り、我々は多年に亘り、地道な調査・研究を継続すると共に、県報告書中にある研究・調査に関する方法論の検討、データに対する検討とその取扱い、さらには、我々のデータとの比較ならびに検討なども行ってきた。
 我々の得た結論は、
 (1)山口県公害対策審議会の結論であるテラ・ロッサ原因説は自然科学的評価の対象にはなりにくい。
 (2)石灰岩工業に関する産業活動が、大気を通じて、美祢地域を広範囲にカドミウムで汚染している可能性が極めて強いというものである。
 これらの結論が、住民や県行政にどのような影響をもたらすかは今後に待たねばならないが、無責任とも思われる行動をとってきた山口県公害対策審議会の委員諸氏に大きな反省を招来させることは勿論のこと県行政の責任者が自然科学的観点に立つ真なる事実に目を向けることの重要性を知る機になりうるのではなかろうか。
 以上、我々が係わってきた公害問題の一部について述べてきた。
 我々が指向するところは日本科学者会議が目的としている四つの柱の実現にある。この観点に立ってこそ、一人の市民をも損なうことのない技術を築き上げていくことが出来ると信じて、我々は多くの住民と共に公害問題に取り組んできた。また、今後もその道を歩み続けることであろう。
 かかる努力は、かけ替えのない環境を最も好ましい姿で次代に伝達する上に極めて有効且つ必要であると確信し、茲に、環境保全賞を申請する。

瀬戸内海環境保全賞受賞推薦文 (瀬戸内海環境保全賞選考委員会)
【日本科学者会議山口支部公害研究委員会】
 山口県は瀬戸内海沿岸諸県の中では、重化学工業化が早くから見られた県であるが、それだけに大気、海水の汚染など、公害問題も早くから発生し、ことに1959年の徳山湾における赤潮の発生以来、県内各地において「公害」が目立つようになった。
 日本科学者会議山口支部は1966年設立されたが、翌1967年、支部内に「公害研究委員会」を設置し、爾来県下に発生したさまざまの公害問題に積極的に取り組み、その研究成果を機関紙「公害研究」(通巻8号より「地域研究、山口」と改題)に発表するとともに、瀬戸内シンポジウムおよび県下各地で開いた「公害問題シンポジウム」において、広く瀬戸内に地域住民、なかんずく山口県民のその成果を普及することに努めてきた。
 その主要な成果としては次のものをあげることができよう。
1、新南陽市における「刺激性ガス」の究明とその対策 2、三田尻湾の水質ならびに底質の重金属汚染の調査 3、下関市、彦島西山湾内底質の重金属汚染調査 4、美祢地域におけるカドミウム準汚染米に関する調査
 以上の調査を通じて、本委員会は常に地域住民の生命と健康を守るために、科学的に事実を究明することに務め、その成果を地域の人々の間に広め、住民が科学的根拠に立って自らの生命と生活を守る運動を積極的に展開することに貢献した。
 多年にわたるこのような活動はまさに国民要求に根ざした民主的科学のあり方を遺憾なく示したものであって、瀬戸内沿岸の環境保全と住民生活の防衛に対して寄与するところが極めて大きかったと云うべく、本賞の対象たるにふさわしいと考え、推薦する次第である。
 (呉合同法律事務所ニュース「瀬戸内海環境レポート」第106号、1979年2月1日参照)

受 賞 挨 拶
                         日本科学者会議山口支部  林謙次郎
 山口支部の公害研究委員会の一人であります林です。この度の賞をお与え下さいました先生方に感謝いたします。
 委員会の中で最年長ということで、代表して「瀬戸内海環境レポート」の中で河野先生より過分のお褒めの言葉をいただきました。私達もこの賞が設けられて以来、いつの日かこの賞をいただきたいと願っておりました。いただいた後、これまでの私たちの歩みは「環境レポート」の2月1日付けの号に出ておりますのであらためて申し上げることはないのですが、書かれていない失敗談を二つ。
 私ども地域の人々と、公害シンポジウムを開いて交流し、最初に依頼された周南地域における有毒ガスの原因究明でありました。このガスは不定期に発生します。しかも早期に、私どもは直接にその時期に現地に出掛けることはできないので、ガス検知器を用意して、現地の方にお願いしたのですが、何分にも初めてのことでうまく使えません。結局ガスの本体は突き止められず、それは失敗したのですが、大阪の耳原病院の人の協力で、集団の健康検診を行ったり、集団移転を進言したりしました。しかし、その集団移転にしても、やはりその地域の人たちにとっては、その土地に対する愛着とか、或いは自分が苦労して建てた家に対する愛着というようなことがあって、なかなかその実現は困難でした。ただこの時に、この地域の中で豚を飼っている人がいました。刺激性ガスがその地域を襲った時に、住氏の方々はすぐ東洋ソーダの体育館に避難しましたが、その中に豚を連れて行くことはできません。そしてその刺激性ガスに襲われた豚が、キャンキャン泣いたり、時にはいわゆるトン死をするというようなことがありました。そのトン死の原因が何か、を調べてほしいという要請があり、私どもはそれに応える力がないので、学内の大学の家畜病院長にそのことの協力を願ったところが、家畜に公害病というものはない。なぜならば、家畜というものは長生きさせない。具合が悪くなれば死ぬ前に殺すと、そういうことで家畜には公害病というものはないということ、しかしトン死ということであればそれは非常に興味がもたれるということであり、協力しましょう。しかし、死んだ動物を動かすのには家畜保健所の許可がないとだめだから、三者の間で協力をして原因究明に努力しようということになりました。この地域の人にこのことを伝えたが、やはり行政との関係、係わりというものはその地域の住民にとっては得手ではなかったらしく、そのことも実現しませんでした。しかし死んだ豚の肺には出血があり水胞も認められました。この事をもう少し突き止めれば新しい視点といいますか、新しい飼育と公害との係わりを知ることができたのではないかと、努力の足りなさを嘆いています。
 その次には、西の端の下関の西山地区における重金属汚染に対する依頼です。この時には私たちが土壌、海水の中のカドミウムを測るということ、三井金属の周辺部にある生活保護世帯の方の家のハリの上に、1センチくらい溜まっていたのが硫安であることを突き止めたりしました。このころは、富山のイタイイタイ病が騒がれていた頃で、山口県がまだ重金属汚染に対して充分対処できなかったようなことで、私たちのことが新聞に出ますと、すぐに廣島通産局や山口県が後追い調査をしました。やはり、汚染の実態が深刻であることを突き止め、さらに会社の方も内々知っていたのでしょうが、非常に県や会社の対応が早く2年くらいの間に、会社は数十億円をかけて設備を全て直しました。また、汚染海域周辺をすみやかに埋め立て、汚染の実態が後から判らないようにしたこともありました。当時、私どもの中に医者がおり、一部住民の健康診断をしたことがきっかけで、無料診断を行うことも可能にしました。これは一つの大きな成果であったと思います。その上で得られた知識の中に、上空から降ってくる重金属の汚染によって、土の中の汚染はどのようになっているか、に対して、それは表面から地中に行くに従い指数関数的に濃度が減少するということを見出しました。
 この下関の汚染問題があったすぐ後に、美祢の方で重金属汚染米がでる、カドミウムによる汚染米があるということがわかり、このことに対して原因究明を我々のもとに、地域の人が依頼をしてきました。その時に、我々は先ずこの問題にどのような姿勢で取り組むかということを話し合いました。汚染という言葉の内容についてはっきり提示してかかる、そして汚染という言葉には、私どもの分野ではコンタミネーションという言葉を使っているし、いわゆる公害関係の問題には、ポリュージョンという言葉を使っています。コンタミネーションとポリュージョンとの差というのはよくわからないけれども、今ある対象Aに対して、或る成分Bがこの対象に加えられた。このことによって、この対象Aの中のB成分が関知し得るほどに濃度が増したときに、コンタミネーションという言葉を使う。そしてそれが何らかの形で人間に影響を与える程度の濃度までいった時には、これをポリュージョンと使い分けてみることにしました。そして美祢の場合は、山に囲まれた盆地の中で石灰岩に関する産業が主であります。こういう産業が地域環境にどのような影響を与えるかを、そのコンタミネーションの方の側から理解する。そのためには、やはり地球化学的な手法(地球上にいろいろな元素の時間的・空間的な広がりを測ろうとする学問であり、この学問の50年の歴史を踏まえた方向に従って解明していくこと)をすれば、臨海工業地帯の場合の汚染に対しても、そのまま利用できるということ。また、その山に囲まれた土の中のいろんなコンタミネーションを調べることによって、その歴史を知ることもできる。こういうようなことから取り組みました。そしてこの結果というのは、今年の「地域研究一山口」に詳細に報告をしましたが、我々の測定器を使って調べたところ、1平方メートル当り、カドミウムが約300ミリグラム位、降り注いだことになります。さらに、県のデータを使い計算しますと、240ミリグラムの汚染があることになります。両者非常によい一致を得たということで、かなり医学的な面からでも評価する結果が得られたのではないかと思います。
 こういった体験を通して得られた教訓は、一つには、やはり正確なデータを我々が用意しなければ力にならないのではあるまいかということです。公害問題に対しては、常に我々自身も測定器を持つ必要があること。また、こういうものに対して我々自身が得た知識の多くは、やはり地域の人々の経験が私たちに多くのことを教えてくれるということです。
 日本科学者会議は科学を人民のために役立たせるために、我々が努力することでありますが、我々は人民のために科学を発展させるだけの力はないのだが、我々自身が地域住民に対して不遜な態度はとらないようにしたいということを常に心がけています。私たちは非常に歩みの鈍い、そして、細々とした仕事しかなす事ができませんが、しかし今、立派な賞を戴きました。この受賞を契機に新しい力を持って、これからも努力し続けていきたいと思います。私たちに力を与えて下さったこの研究所、またそのために色々ご配慮をいただいた審査員の先生方に心から厚くお礼を中し上げます。
  (呉合同法律事務所ニュース「瀬戸内海環境レポート」第112号、1979年10月1日参照:若干、田邊が補足訂正した)

表 彰 状
       日本科学者会議山口支部公害研究委員会殿
 あなたがたは、山口県内の公害問題に、意欲的にとりくみ、この一面から、住民運動ならびに民主的科学者運動に積極的に貢献されました。
 こうした活動は、瀬戸内地域の環境保全と、住民生活の防衛に対し、寄与するところがきわめて大きかったといえます。
 ここに第二回瀬戸内海環境保全賞を贈り、その功績をたたえて表彰いたします。
                   1979年8月26日
                    瀬戸内海環境保全研究所
                    理事長・広島大学名誉教授  佐久間 澄


編集後記

 編集後記
 「つうしん」の発行予定を二月遅れてしまいました。日誌にあるようにいろいろと取り込んでいたことも一因ですが、編集人が作業に集中していなかったことをお詫びします。さらに印刷直前の8月3日、「山口県が中電に上関埋め立て工事免許の延長を認める」とのニュースが飛び込んできました。とんでもないことです。上関原発計画の新たな動きについては次号でお知らせする予定とします。

JSA山口支部事務局
   〒753-8511 山口市吉田1677-1 山口大学教職員組合気付
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