「日本の科学者」54巻5号、2019年 45-48頁
岩国基地の「侵略力」の格段の強化と矛盾の激化
吉岡 光則 (山口県平和委員会)

第29回日本科学者会議中国地区シンポジウムでの特別報告(2018年11月3日)


T.極東最大の航空基地に

 岩国基地は、1962年以降、アメリカ海兵隊の航空基地(現在の部隊名は、第三海兵遠征軍第1海兵航空団第12海兵飛行群)であるが、2005年10月に打ち出された「米軍再編」計画にもとづいて、太平洋艦隊第5空母打撃群第5空母航空団が厚木基地から移駐し(2018年3月末完了)、海軍の基地にもなった。そうして、以下のように、質量とも格段に強化され、いまや極東最大級の戦力を有する航空基地となっている。アメリカ軍関係者の人口も、5千数百人から1万人超に倍増した。

1.基地の大拡張と機能強化

 1968年に板付基地のファントムが九州大学に墜落した事件をきっかけに、岩国でも「基地撤去」の声があがったが、それを圧殺するように官民一体の基地沖合移設運動が組織された。滑走路沖合移設事業が具体化するのは28年後、1996年である。騒音や墜落事故の被害をなくすために、基地沖合を埋め立てて、滑走路を1q沖合に移設するという事業だった。そして、市街地のほぼ中央部にある愛宕山が沖合埋め立ての土採り場にされた。埋め立て工事は1997年から10年かけて行われ、2010年5月29日から新滑走路を運用している。
 しかし、事業は単なる滑走路の沖合移設ではなく、軍事的機能を格段に強化した新しい基地の建設にほかならなかった。強化された主な点は以下の4点である。

 なお、滑走路には、艦載機の夜間着艦訓練(NLP)用に、特殊なライトが埋め込まれ、マーキングが施されている。これは旧滑走路にもあったもので、これだけが文字通りの「移設」であった。

2.「沖縄の負担軽減」や「機種変更」の名目による海兵航空群の機能強化

 第12海兵航空群には、F/A-18ホーネット戦闘攻撃機3中隊36機(うち1中隊は常駐、2中隊は6か月交替)、AV-8Bハリアー攻撃機(垂直離着陸機)8機、EA-6Bプラウラー電子戦機5機、CH-53Dシースタリオン輸送ヘリ8機(普天間基地に分遣隊として派遣)が配備されていたが、2014年以降以下のように増強された。

3.二つの「殴り込み部隊」が融合する極東最大かつ最速出撃可能な航空基地に

 日米安全保障協議委員会(2+2)が、2005年10月と翌年5月に発表した在日アメリカ軍「再編計画」に基づいて、海軍の「殴り込み部隊」である空母艦載機部隊が厚木基地から移駐してきたことにより、世界最強のアメリカ軍の2つの「殴り込み部隊」が統合運用される、極東で最大かつ最速で出撃可能な航空基地となった。
 移駐した空母艦載機部隊は、F/A-18スーパーホーネット戦闘攻撃機48機、EA-18Gグラウラー電子戦機6機、E-2Dアドバンスドホークアイ早期警戒機5機、C-2グレイハウンド輸送機2機の計61機に上る。
 日本政府は、艦載機部隊を岩国基地に移駐させる目的を「周辺に200万の人口が密集する厚木基地の安定的運用のため」と言うが、米軍の目的は、海兵隊の戦闘攻撃機を艦載機と統合運用する「戦術航空統合」であって、「厚木基地の安定的運用」などは考えていない。実際、2017年9月1日から、神奈川県や地元自治体の即時中止要請も無視して、厚木基地で離着陸訓練を強行している。

4.出撃拠点基地、兵站基地、そして「ハブ基地」

 以上のような大拡張と機能強化によって、岩国基地は、アメリカ軍にとって下記のような機能を果たす非常に使い勝手のいい重要な基地になっている。

5.海上自衛隊とその役割

 岩国基地には、海上自衛隊が「間借り」している。1954年に教育航空群が置かれ、1973年に第31航空群が開隊(PS-1対潜哨戒機など)し、1976年にはUS-1救難飛行艇を配備した。1989年にはMH-53掃海ヘリを擁する第111航空群を配備。1992年にはP-3C対潜哨戒機も配備したが、ソ連崩壊後無用となり撤退した。
 現在は、US-2救難飛行艇(3機、第71航空隊)、EP-3電子戦データ収集機(5機、第81航空隊)、OP-3C画像データ収集機(5機、同隊)、U-36訓練支援機(4機、第91航空隊)、UP-3D電子戦訓練支援機(3機、同隊)、MCH-101掃海ヘリ(4機、第111航空隊)などが配備されている。
 海上自衛隊の役割として、1997年の「ガイドライン」は、海上自衛隊がアメリカ軍の上陸作戦の「前駆掃海」を行うこととしている。自衛隊はアメリカ軍の上陸作戦の露払い役を義務づけられているのである。
 さらに、いわゆる安保法制施行後の2015年の新「ガイドライン」では、「自衛隊と米軍は日本以外の国に対する武力攻撃への対処行動として機雷掃海に協力する」こととなったほか、「日本に対する脅威への対処行動として、日米が捜索・救援活動に協力する」「平時からの協力措置としては、情報収集、警戒監視及び偵察」などが加えられ、岩国基地にはそれらに携わる航空機が配備されている。


米軍岩国基地の概要:山口県基地対策室のホームページ掲載写真

U.愛宕山が新たなアメリカ軍基地に

1.将校用家族住宅区域、運動施設区域

 基地の南側、門前川対岸の愛宕地区に、標高120mの愛宕山丘陵があった。山頂には麓の農村共同体の守り神を祀った小さな祠の愛宕神社があり、その昔、春の例大祭には麓の住民がお重や酒を抱えて登り、桜の下で奉納相撲大会や花見を楽しんだ。また、地域の子どもたちを育んだ山でもあった。
 その愛宕山が「滑走路沖合移設」の土採り場にされた。削り取られた跡(法面含めて75ヘクタール)は「愛宕町」と名付けられ、その4分の1は岩国市が買い取って岩国医療センター、消防本部、特別養護老人ホームを建設したが、4分の3は「米軍再編関連施設用地」として防衛省が買い取り、さまざまな施設を整備してアメリカ軍に提供した。将校住宅区域と「共同使用」の運動施設区域(高校野球の公式戦が可能な規格の8,000人収容の野球場、400mトラックの陸上競技兼サッカー場など)である。

2.愛宕山がアメリカ軍基地にされた経緯

 滑走路沖合移設事業が開始される直前、山口県は住宅供給公社を立ち上げ、「新住宅市街地開発法を適用して愛宕山を開発し、1,600世帯が住む『21世紀型多機能都市』を建設して、県東部の経済発展の起爆剤とする」、「削り取った土石は折しも沖合移設事業を進めようとしている国に売却する」として、土地を買収し、1997年着工した。「はじめに基地拡張ありきではないのか。『基地栄えてまち滅ぶ』は必至」と反対の声も上がったが、「沖合移設で爆音が軽減され、新しい夢の町もできる一石二鳥の事業」と期待・協力した市民は多かった。
 しかし、この住宅開発事業は、基地沖合移設を求める岩国市と山口県が1992年に国と交わした『覚書』中の「沖合移設のための土採り場は市と県が確保する」という条項の実行にほかならなかった。「はじめに基地拡張ありき」だったのである。
 2006年9月、山口県は県議会で「住宅を完売しても赤字が生じる」という理由で、愛宕山開発事業を「再検討する」と、方針転換を表明した。実は、同年5月1日の米軍再編計画「最終報告]が出された直後、防衛施設局(当時)が、新たに必要となる住宅(アメリカ軍は1,060戸を要求)の「適地調査」を行い、愛宕山開発地を候補に挙げていたのである。2007年3月に基地沖合の埋め立てに必要な土砂を採り終えると、県は6月に住宅開発事業の中止を決定し、8月には跡地の処分について県・住宅公社・岩国市の三者が「4分の1は岩国市がまちづくり用地として買い取り、4分の3は赤字解消のために国に売却する」ことで合意した。県は、2009年2月「社会情勢の変化により著しい住宅需要が見込めなくなった」と住宅開発事業の廃止を決定し、2012年3月、防衛省に売却したのである。
 このような動きの中で、2008年8月、愛宕山周辺住民がアメリカ軍住宅建設反対を掲げて「愛宕山を守る会」を結成、同時に、艦載機移駐に反対してきた市民団体が同会を核に結集して「愛宕山を守る市民連絡協議会」を結成して、署名・交渉・集会・毎月「1の日」の座り込みなど、さまざまな運動を展開した。その中で、国は艦載機移駐を円滑に進めるために、「必要なアメリカ軍住宅のうち、愛宕山への住宅建設は将校用270戸にとどめ、790戸は既設基地内に整備する。残余の区域には、市の要望である野球場など運動施設を建設し共同使用とする」という懐柔策を打ち出し、自治体などがこれを歓迎し、受け入れたのである。

3.「日米同盟の象徴」

 アメリカ軍は、将校住宅区域を「Atago Hills」、運動施設区域を「Atago Sports Complex」、野球場を「Kizuna Stadium」(絆スタジアム)と名付けた。野球場のオープニングセレモニーで、岩国基地司令官は「このスタジアムは日米同盟の象徴である」と述べた。 「共同使用」については、アメリカ軍、岩国市、防衛省の間で「協定」が結ばれ(非公開)、それに基づいて岩国市が管理条例などを制定して管理している。しかし、運動施設区域もあくまで「提供区域」であり、軍事上の必要があれば直ちに閉鎖される。また、当然「刑事特別法」の適用区域であり、区域内で事件が発生すれば、いかなる事案であれ、裁判権はアメリカ軍にある。

V.膨大な血税の投入

 滑走路沖合移設に2,500億円超、艦載機部隊等の移駐のための基地内の施設の配置換えや新設、愛宕山の整備などには「米軍再編関連経費」として2006〜2017年に5,487億円超を投入している。すべて日本国民の“血税”である。

W.核攻撃基地

 岩国基地は、1956年「原子兵器配置場所」に指定され、1958年には核兵器搭載可能機A4Dスカイホークが配備された。また、1959年から7年間、岩国基地沖に核爆弾搭載揚陸艦「サン・ホアキン・カウンティ(灰色の幽霊)号」が停泊していた。
 1973年、核兵器専門部隊(MWWU-1)が配備され、核兵器組立作業所が建設された。1970〜80年代にかけて、さまざまな核兵器持ち込み疑惑が生じたが、1981年に日本共産党の訪米調査団が入手した海兵隊『核作戦教範』には、岩国基地が核基地であることが具体的に記されていた。
 ソ連崩壊後、アメリカは、海外の戦術核兵器の撤退と潜水艦への巡航ミサイル配備、さらに巡航ミサイルの退役とB61水素爆弾の重視など、核態勢を幾度か変更してきたが、通常戦力と核戦力の一体運用や「拡大抑止」戦略は一貫している。そして、2018年2月発表の「核態勢見直し(NPR)」は核兵器の近代化などを打ち出した。岩国基地に配備されたF-35Bは最新型のB61-12核爆弾の搭載可能機である。現在の岩国の部隊に核攻撃任務はなく、核兵器も持ちこまれてはいないと思われるが、「有事持ち込み」態勢下にある核攻撃基地として強化されていると見なければならない。

X.「基地との共存」政策

 2006年3月の住民投票で、旧岩国市の有権者の過半数が艦載機移駐に反対した。しかし、「平成大合併」後の市長選以降、政府・与党と、基地を容認する代わりに見返りを求める「おねだり」派の推す市長(福田良彦氏)が勝ち続け、市議会も「おねだり」派が圧倒しており、政府の「アメとムチ政策」が効を奏している状況である。

1.「基地機能強化は認めない」は?

 岩国市も山口県も艦載機移駐計画に対しては「これ以上の基地機能の強化は認めない」と言明し続けてきた。ただし、県・市の「機能」の定義は「市民生活への影響の程度」である。その上で、岩国市長は「(艦載機が移駐してきても)滑走路沖合移設前に比べ、全体として悪化することはない」と言明していた(2017年3月市議会答弁)が、実態はどうか?
 岩国市基地政策課によると、2017年度の騒音苦情は3,077件(前年度1,710件)で、初めて3,000件を超え、2018年度は4月、5月の2か月で2,079件に上った。騒音測定回数(70?以上が5秒継続の回数)も川口町(基地北側今津川対岸)で5,706回(前年度3,404回)、尾津町(基地南側門前川対岸)で6,092回(前年度3,620回)と大幅に増えている。
 「日米同盟に必要な訓練」(アメリカ軍側)という市街地上空での傍若無人な旋回飛行などに加えて、かつて体感したことのないF-35BやF/A-18スーパーホーネットの強烈・苛酷な爆音のせいである。
 2006年5月の「ロードマップ」は、FCLP(陸上空母離着陸訓練)は岩国基地から100海里(約185km)以内に専用基地を設けて行うとしていたが、どこに決まったのか情報はない。岩国市は、「岩国基地でのFCLPは認めない」と再三言明し、国にも要求しているが、アメリカ側は「岩国では絶対にしない」と確約してはいない。現在FCLPが行われている硫黄島まで、厚木基地からは1,200q、岩国基地からは1,400qである。FCLPを岩国基地で実施しないという保障はない。

2.「基地依存症」

 岩国市政は、『市総合計画』の柱に「基地と共存するまちづくり」を据え、市長は「子育て日本一のまちに」をスローガンとしている。「基地との共存」の第一の目的は、基地強化受け入れの見返りとしての交付金や補助金の獲得である。その結果、一般会計当初予算における基地関連国庫支出金の割合は、2013年度6.7%→14年度9.8%→15年度11.1%→16年度9.7%→17年度15.4%→18年度17.3%と年々増え、「基地依存」度を高めている。中学校までの医療費や給食費の無料化などの「子育て支援」策からゴミ焼却場建設などの大型プロジェクトまで、米軍基地の再編にかかわる交付金や防衛省ルートの補助金に依存した施策は枚挙に暇がない。もはや「薬物依存症」と断ぜざるを得ないほどの補助金依存体質となっている。国としては、「カネで片がつくなら安いもの」であり、それによって市民の中に「基地依存」「基地歓迎」意識が醸成されていけば言うことはないのだろう。

Y.深まる矛盾

 国は、「米軍が日本にいること自体が抑止力」「日本の安全保障環境が厳しくなっている中で、市民の安心・安全を守るためには、抑止力の維持・強化が必要」として、米軍基地の大増強を押しつけてきた。しかし、北朝鮮が「ミサイルの標的は在日米軍基地である」と言った時、市民は米軍基地がむしろ安心・安全上の脅威であることにあらためて気づいた。市長の地元にあって、「共存政策」を忠実に教育課程に折り込んでいるT小学校は、PTAも動員してミサイル攻撃を想定した避難訓練を行ったが、基地さえなければ岩国市がミサイル攻撃される心配はないのである。
 また、前述のような苛酷な爆音は、基地に対する意見・意識の違いに関わらず、すべての市民に襲いかかっている。これからさらに“本格化”するだろう。
 その後、朝鮮半島では平和への歴史的な情勢が生まれた。これが進展すれば、在日アメリカ軍基地の存在理由が根本から問い直されることになる。また、「核兵器禁止条約」が発効すれば、「核抑止力」を前提とした日米軍事同盟そのものが国際法違反ということになる。
 基地闘争にとりくむ私達にはいま2つの“旗印”がある。すなわち、日本国憲法(砂川事件東京地裁「伊達判決」)と「核兵器禁止条約」である。この二つを高く掲げて、「ヒバクシャ国際署名」をひろげ、日本政府に「核兵器禁止条約」加盟を求める運動、海兵隊の撤退と岩国基地の撤去を求める運動、安保法制廃止、安倍改憲阻止などの運動を、意気高く進めていきたい。


もどる